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(觀光繪はがき)
贈呈
津久見市
發行所
津久見市役所總務課 |
津久見市になった記念だそうだ昭和何年??
津久見町・青江町・日代村・四浦村・保戸島村の合併でしたか?
私は大分縣北海部郡四浦村字刀自ヶ浦の出身です
ということは昭和24年はまだ津久見市ができていなかった
道理で戸籍の住所(北海部郡)が書き換えられていた |
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津久見市街と小野田第一工場
眞ん中に突出している山が宮山公園で、その向こう側が古來の津久見、こちら側が昔の青江である。
煙の出るのは小野田セメント津久見第一工場一番向こうに見える高い山が彦岳、左側は波靜かな津久見港である。 |
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水晶山と港風景
前に聳えているのが全山石灰石の水晶山で、手前には相当掘取られた跡が見える。
併し全部堀取るには尚幾百年要するであろう。(驛から約3粁) |
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小野田セメント第二工場
第二工場は全然特立した理想的な工場で、今回大擴張を施し、將に大飛躍を試みんとしている。
右方に見える小島は野島といゝ、岸壁を以て陸地に繋がれ、津久見港(右側)の防波堤を形成している。 |
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(津久見名所)津久見灣内聖島
現在は「えびす公園」右側の海は残っているが周りは埋め立てられている、
千怒への道と湾内の船の帆柱と線路沿いの松がいいねー・・・・・板の橋は揺れて怖かったそうです |
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大友公園
市内岩屋にあり、大友宗麟公が、晩年津久見に居を構えた時の別業のあった小山である。今は市立公園とて経営せられ、四季杖を曳く人が多い。櫻の多い展望台から眺める市内や灣内の風光は洵に美しい。(驛から500米)
宗麟公の墓
津久見市字身打の山麓にある。鎮西の勇將、貿易の始祖大友義鎮(宗麟公)の墓である。法名を瑞實院殿前羽林次將兼左金吾休庵宗麟大居士という。菩提寺は市内長泉寺である。(驛から約2粁) |
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蜜柑摘み風景
800年の歴史を持ち、一市内で約800町歩の蜜柑園から、年々数百万貫の生産を挙げる津久見市は、恐らく一行政単位としては日本一の大産地であろう。
柑橘試験場
蜜柑の栽培ほどむづかしいものはあるまい。縣立津久見試験場は、数十人の職員が完備した設備を酷使して孜々として研究と指導とに当たっている(驛から約1.5キロ)
現在は、津久見浦福に移転している。跡地は西ノ内グラウンドと苺ハウスが少し |
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県立公園八戸高原
古來八戸台と称する約200町歩の大草原は、美しいドリーネ(石灰石の露頭)や広大な高原をなし、降雨は地下に浸透して鍾乳洞を形成し、其の規模の広大なること想像も及ばぬものと思われる。また此の高原から祖母、傾、阿蘇、久住、由布、鶴見等の連山並に豊後水道を隔て、四国を望む眺望は極めて雄大である。最近市営山小屋も建てられた。(驛から約8キロ)・・・・・火事でなくなったらしい |
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小野田セメント回転窯とタンカー船
右はセメント製造主要部”回転窯”で、左はセメントのばら積みタンカー船順洋丸(3,200瓲)の接岸荷役の光景である。ばら積みは包装の必要がなく大變有利である。 |
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男郎淵、女郎淵の大鰻
市内上青江字長野の山麓にある。男郎淵(おろぶち)女郎淵(めろぶち)は地下の鍾乳洞からこんこんと湧出する深淵である。こ々に棲息する大鰻は重量4.5貫匁にも及び時々下流に泳ぎ出ることがある。之を養殖して鰻寄せ場を作る計畫もある。
白嶽の鍾乳洞(仙人の杖)
八戸高原に属する鍾乳洞群の一つである。現在観覧出来る約二百米は珍しい鍾乳石や石筍の美景を見せているが、今後の努力に依り、更に神秘的な地下の秘密を次々に現出することゝ思われる(驛から約5粁バスの便あり) |