2003年年6月2日相模原市 Tさん
昨年、自宅でインターネットをはじめました。その時、たまたま「紙飛行機」の
HPをみつけました。私の生まれた所(四浦)の風景が紹介されていました。
島、海・・・・・・。なつかしい景色でした。もう少し、近景があればいいのにと
感じたりしました。
久しぶりに「紙飛行機」のHPを拝見してびっくりしました。
それは、私の生家(生まれ育った時代は木造の家屋でしたが、高校を
卒業し社会人になって、今のコンクリートになりました。)が写っている写真を
見つけたからです。その前は、半島の遠景、島や海の写真でしたが、
それでも、久しぶりに郷愁をかきたてられました。今回は、それ以上のおもいでした。
10数年も帰省していませんので、風景が変わっているのもわかりました。
帰省したような気持ちにもなり、このメールをしました。
ありがとうございました。
2002年12月10日
初めまして
私は津久見市出身で北九州市若松区在住のsと申します。
このホームページのボリューム、そして私の大好きなふるさと津久見にこだわった構
成に感激しています。
さて、場違いな質問とは思うのですが、八戸台は無くなってしまうのでしょうか?
この点がずっと気になっています。
私は登山やケイビング(洞窟探検)を趣味にしています。
数年前、こっそり登って見ることができましたが、もし無くなってしまうとしたら本
当に残念なことです。
カルスト台地というのは非常に貴重な地形です。
八戸台は秋吉台、平尾台、四国カルストに次ぐ日本有数の規模なのです。
その価値をふるさと津久見に住んでいる人達にもっと知ってもらいたいのです。
先日津久見に行く事がありましたが、若い人は八戸台の存在すら知らず、年配の方も
「えっ!八戸台はまだあるんな」という始末。
現在、津久見のカルストを調べ、まとめた資料は存在しません。
日本洞窟学会や大学の探検部などが断片的に持っているに過ぎませんが、その資料も
廃部や火災で散逸してしまい手に入らない状況です。
その間に山や鍾乳洞はどんどん無くなっています。
すでに日本で5番目に深かった胡麻柄洞は調査や測量もされないまま削られて消滅し
てしまいました。
(簡易測量だけ行なわれたらしい。深さ213m長さ600m以上)
小園の穴も消滅しています。
八戸台は県立公園?か何かの指定も外され、鉱区内にあった八戸の人達の共有地も戸
高鉱業に売却されたと聞きました。
(その売却益で八戸の人達が地誌を作り出版しています)
かつては観光洞だった白滝鍾乳洞も現在どうなっているのでしょうか?
地域の人になじみの深かった男郎淵や女郎淵も今後どうなるのでしょうか?
せめて無くなるならば、その事を皆に知らせて、測量だけはして残して欲しいもので
す。
他の地域では鉱山があっても様々な調査が行なわれ、資料化されています。
津久見だけどうしてこうなったのでしょうか?
あまりに秋吉台や平尾台と違う処遇に悲しくなります。
戸高鉱業のホームページによると平成23年には東神野に鉱山が全面的に移ると出て
いました。これは八戸台も含むのでしょうか?もし御存知であれば御一報お願いでき
ませんか?大変恐縮ですがお願いします。
測量の仕方をこれからやって間に合うかなあ・・・。
平成14年11月2日(さいたま市から)
初めまして。私、津久見高校のOBでもなんでもないんですが、高校野球の秋季大会で久々に
津久見高校が出場したのに佐賀東高校に逆転負けしてめちくちゃショックをうけている者です。
大分県を代表する野球の高校と言えば私の中では津久見です。(大商ではありません)
川崎、古閑、足立、佐藤、木下の世代は私にとっては憧れでした。
あれから、津久見が甲子園に出場してないのが大分県民として残念でなりません。
私は、中津市出身ですがあの中日に入団した時も夏は中津工業に敗戦。
そして、今年のセンバツこそはと思ったのにど土壇場で佐賀東に敗戦……
夏こそは甲子園に「彦岳に〜」の校歌がこだまする事を本当に願っています。頑張ってください!
平成14年5月28日
私は現在、京都市に住む津久見高校OBの一柳といいます。
ここ3年以上実家に帰ってないので、なんか津久見のことが懐かしく
ネットサーフィンをしてたらこのサイトを発見しました。
これからも津久見の最新情報を楽しみにしてますのでよろしくお願いします。
平成14年2月28日 竹尾裕司さん
みんなで使える運動場を作ろう(赤八幡外苑運動場の建設)鳥居の寄贈者 竹尾筆吉は私の祖父であります。
父から祖父がやくざの親分(竹尾組)だったことを聞いています。ヤフーで祖父の名前を入れてみたら出てきたのでびっくりしました。
昨年、祖父の石碑が臼杵にできたとのことです
祖父は「やくざ」といっても、今の暴力団みたいなのとは違って本当の任侠であったと聞いています。
ちなみに、父の代から「やくざ」は廃業しました。
平成14年2月3日
始めまして、園田といいます。写真や福祉の事を楽しく見させて頂きました。
素敵な写真、津久見に行きたくなりました。では、また。
管理人:こんなHPで津久見に来たいとはうれしいですね。
平成13年12月14日 紙飛行機さまへ
初めまして こんにちわ!イニシャル H.S と申します。初めてメール出させてもらいます。伊勢君と同級です。
津久見の町を観ていますと、大変懐かしく思います。
故郷離れて早や30年景色の変わりようには懐かしさあり寂しい思いも多々感じられます。高速が出来て交通の便は大変よくなりましたね!
私は、 福の出なので 福のペリカンさんの裏あたりの写真も今度載せてください。よろしくお願いします。又便り出させてもらいます。
平成13年12月14日 はじめまして。長目山出身で大阪でがんばっておりますK.Kともうします。いつもインターネットの”長目”楽しませていただいております。今回の11月更新では長目丸 特に懐かしくついつい時間が・・・運動会は本当に盛会でしたよね!お名前から、ひょっとして伊崎の方か?それとも写真のコメントでは長目の方ではなさそうですが?これからも楽しみにしております。遠く離れた田舎者がくつろげる場所です。
管理人:ありがとうございます。なぜかこのメール見て車走らせていたら、うれしくて涙が出てきました。
私は四浦の刀自ヶ浦出身です。市営船で高校に通ったもので長目丸はいつも見ていました。
大阪にも4年半ほどいました。吹田(工場は三国)、熊取(工場は泉佐野)流れ流れて今は千怒
死ぬときはまた生まれ故郷の四浦に帰りたい。
平成13年12月10日 初めまして。津久見市千怒出身(現在愛知県在住)のYといいます。先日、福岡在住の姉から、このHPのことを聞きました。懐かしく、うれしく拝見しました。「えっ!?千怒小って、こんなに細い道の脇に建ってたっけ?」なんてヘンな感動が沸いたりして(笑) 実は、つい先頃名古屋市で開催された『津久見高校同窓会・東海支部決起集会』なる会合に参加したばかりでして、懐かしさもひとしおでした
平成13年11月13日 今遊び半分で保戸島って検索したらなんともびっくりしました。保戸島もこういうホームページをつくっている。うえのさんですか、感激しました。私は自動車運搬船に乗り働いていますが、現在保戸島に帰ってきています。海の上からでも島の情報や津久見市の課題ニュース、を知る事ができ、自分の住んでいる保戸島もこれからはどこにいても近くになるような気がします。是非ともこれから応援してゆきたいと思うしだいです。有難うございます。 保戸島在住(矢内さん)
平成13年9月19日 はじめまして。M.Jと申します。私の母が上浦町の出身で、毎年夏(祖父母が亡くなるまで)帰省していました。私も佐伯市の病院で産まれたこともあり、大分県(特に南郡)は大好きです。美味しんぼを読み返していたら、水産試験場(今は名前変わってるんですね)が出て 来たので、懐かしく思い、上浦町で検索をかけたら、こちらに辿り着きました。すごくいいページですね!さっそくお気に入りに入れてしまいました。ちなみに上浦町の役場に勤めておられる同級生の「児玉氏」とありますが、お名前は何ですか?ちなみに「児玉○○」なら私の叔父なのですが、なにせ御承知の通り「児玉」さんは多いですものね。これからも頑張ってくださいね!
平成13年8月1日 「小嶋仁八郎」で検索をかけていたら、こちらのwebページにたどり着きました。今まで、小嶋さんの名前で何度か検索をかけたのですが、はじめて「津久見野球の歴史」のページにたどり着きとても感激しています。
話は前後しますが、わたしは大分県内に勤める中学校の一教師です。少年時代より、わたしも例に漏れず野球少年でした。多感な少年時代に見た小嶋監督率いる津久見高校の野球は今でも強烈な印象として残っています。いつしかわたしは小嶋監督を尊敬する人として掲げ、中学校教師として野球指導の道をめざすようになりました。そんなとき、忘れもしない昭和59年秋。当時沖縄の大学に通っていたわたしは、秋の九州大会に津久見高校が沖縄に来ていることを知り、応援に行きました。そこで出会った小嶋前監督に声をかけずにはいられませんでした。そして頂いたサインには「球道無限」と記してありました。この言葉がわたしにとっての座右の銘となったことは言うまでもありません。現在わたしは中学校教師として野球指導の一端に関わらせていただいています。先日、うちの野球部が津久見で合宿を行うことになり、津久見市内のチームとも交流試合を行いました。実はあとでわかったのですが、宿泊した旅館が小嶋さんの生家だったのです。部屋には「球道無限」の書が飾られていました。奥様にもお会いし、沖縄でことなどをお話ししました。今改めて小嶋さんの功績を感じています。中学と高校での違いはありますが、今後もわたしの心の中には「小嶋野球」をしっかりと胸に刻み中学教師としての志を全うしていくつもりです。つい話に夢中になってしまいましたが、津久見が産んだ偉大な指導者を今後とも大切にしてもらいたいと思います。そして、このHPも。また時々覗かせて下さい。〜中津の有志より〜
平成13年6月12日 津久見出身、現在大阪在住のものです。あるきっかけから、このページを知り、驚くとともに、感激しています。大阪にきて、はや8年。結婚をし、子供もできました。いつも思うのは、津久見の長閑な風景、人の暖かさ。出産の時など、ちょくちょく帰ってはいますが、やっぱりいいなぁーと思うのです。これからも、応援します。ばんざ〜い
\(^o^)/津久見。 (higakiさん)
管理人/初めての絵文字うれしいなぁ。「大阪は第二のふるさとヤワァー」笑福亭仁鶴がラジオで叫んでいた昭和40年頃
平成13年5月24日 小生の彦岳に対する思い出は35年前の古い物です。15歳の時、狩生より徒歩でテクテクと2時間をかけて頂上まで歩き、頂上の下、狩生側の8合目の八重桜を見に行った思い出深い場所でした。今は、車で何合目までか行けるのでしょうか?私も、帰省しても戸穴から眺めるだけで35年間頂上まで行った事がありません。貴殿のHPで、車道が写っていたので随分変化したなーと感じました、これも時代の流れでしょう。最近は自然保護で林道への車乗り入れ禁止箇所が増え自然保護の活動が定着して来ました。便利さと自然界保護の共存は不可能だと思いますが?どう思います。小生は昭和25年に戸穴で生まれ、佐伯市の高校を卒業して現在は○○自動車に勤務して27年になります、仕事の関係上、アメリカのケンタッキー州に約9ケ月程度滞在しノーキャロライナ、ワシントン、カナダなど、観光で色々見て来ました、とにかく山が少なく(カナダは別)たまにある山は、日本の様にゴミの投棄がない、大切にしているのを感じました、「ふるさとは遠くにありて 想うもの」、、、貴方のHPとにかく素晴らしい出来栄えです、故郷を離れた私たちに大きな夢、安心感を与える故郷宅配便です、今後も津久見、佐伯の出身者のファンが増える事を期待しています
平成13年5月23日 はじめまして、小生は大分県佐伯市に生まれ現在は愛知県に在住しています。この度、小生もホームページを公開することになり生まれ育った故郷の紹介をしようとlinkでサーチした結果彦岳が貴殿のURLされたhpに見つかった為、linkをさせてもらいました、今後も故郷の宣伝をHP上で展開しますので宜しくお願いいたします。それから、彦岳が大きく変化したのに悲しみを覚えます、破壊される自然界、観光客のマナーの低下ゴミのポイすて等、戸穴、狩生、津井が今後も今の環境が維持、継続される事を切に熱望する古い人間であります。今後も私の故郷を紹介していきますのでご指導をお願い致します。
平成13年5月19日 お久しぶりです。昨年の10月位に一度、メールを出した 久保と申します。そのとき「自分もページをつくりたいです」と申しましたが、なにぶん、東京に20年以上落ち着いてしまっているため ホームページの名前は「Webサイト つくみ」ですが、津久見の話題なしで、現在ホームページをこさえてしまいました。いずれ暇なときに「昔の写真をスキャナーして」昔の津久見のページくらいならできるかな。と思っております。下記URLを「リンク集のすみっこ」にでも掲載して頂けましたら幸いに存知ます。尚、私は「セメント町」出身ですが、いまだ「板井薬局、松崎屋」があったのはほっとしています。「引込み線」で、でかい釘を「石灰積んだ貨物機関車」に轢かせて「手裏剣」をつくったことを思い出しました。たぶん、このページの管理者もおやりになったかと思います。
平成12年10月18日 はじめまして。四浦落の浦出身の者です。9年前、北九州で学生だった頃は、1‐2ヶ月に1度は帰省していましたが、5年前から福岡で仕事を始めてからなかなか帰れず、時々四浦のことを思い出します。 このページにたどり着けてよかったです。これからも楽しみにしています。では...。 もうすぐ27歳matsuyamaさん
平成12年9月23日 貴男のHPは私のお気に入りです、資料集めや苦労話を聞かせて下さい、私もHPを作成したいと考えています、私は安岐高校の出身です、母校は15年に廃校に成る運命です、そこで安岐高校HPを作成したいのです、ご指導お願いします。家内が津久見市立第二中学校第三回卒業生です、いつも嬉しく拝見しております、以上の様なわけです、お忙しいところ宜しくお願いします。ツチヤ
平成12年8月28日 はじめまして!私は、上浦町(夏井)生まれで、津久見高校卒業生(39年)です。
紙飛行機が好きで、新しい情報収集していたところ、ぐーぜんこの ホームページを見つけました。
もうずいぶん田舎に帰っていませんが、懐かしい風景に興奮しました。
新しい情報を今後もどんどん発信して下さい。楽しみにしています。東京都在住 もりさきさん
平成12年8月27日 katuwataru 母が十年ほど前交通事故でなくなりました。
それまで大分の生まれだと聞いていましたが、何か特別な思いがあったのか詳しいことはいいませんでした。
事故後保険の処理の為調べたところ四浦の出だとわかりました。
戸籍謄本を入手のときチラッと通過しましたが、このページでこんな美しいところだったのだとあらためて確認しました。
一度ゆっくりと訪れたいと想いがわきあがりました。有難うございました。では又。
平成12年8月8日 MEN'S HAIR AKAHORI 501 先日は、娘がお世話になりました。メンバーに入れなかったので、はるばる津久見まで、電車と車を乗り継いで到着したそうです。演奏会が終わってから、車で下関まで直行したらしく、帰ってきたのが夜中の二時でした。寝ぼけ眼の真紀奈の第一声は、”お母さん。私、ほーむっぺーじを作っている人にあって、今度私もホームページに載るって!”と、興奮気味でした。”じゃ、今度見ようね。”といったものの、下関のホームページの制作者なのか、樫の実のかたなのか、むすめのはなしでは わからずに とりあえず合唱隊のホームぺじに行ってみると、紙飛行機さんのリンクがあったので、ようやく話が見えてきました。実は、母親の私も、11年間、合唱隊員でした。真紀奈は、ソプラノ1、私はメゾなので、時々お風呂でハモったりもします。そして、本当は、真紀奈のメールの方が喜ばれると思いますが、ちょうど”夏休みの小学生パソコン教室”に通っている最中で、8月末には、ひょっとすると真紀奈もメールできるのでは、、、?と期待しております。小3の真紀奈には、少しハードだった演奏会見学でしたが、樫の実のちびっ子の様子や、紙飛行機さんとであえたことは、きっといつまでも心に残ることと思います。本当に有り難うございました。では、娘のメールが届く日を気をなが〜くしてお待ちください。さようなら。
平成12年8月5日 Shigechan
上野さんこんにちは。 昨日の下関の演奏会の写真、早速アップしていただき、ありがとうございます。 昨夜、家内と子供達の様子を見ながら、盛り上がりました。前で踊っている4人組みのうち、2人がわが子です。リハーサルの様子がよくわかり、インターネットのすばらしさを実感しました。首のタオルは、エアコン対策です。夏になり、会場にエアコンが入ると隊員達は、自分で考えて喉を守っています。今日5日は、樫の実との交歓演奏会が午前中あり、その後下関に帰る予定です。
ap/このメールだけでアップしたカイがありました。汗だくでミカンの予防をしてバテバテで帰ってこのメール。疲れも吹っ飛びます。
平成12年7月25日 mikimikiさん
はじめまして。熊本県からメールをおくっています。実は先祖のルーツを調べているのですが、嘉永うまれの先祖が日代村に嫁いでいたことがわかりHPで調べていた次第です。昔の村名なので、分るかなと思ったのですが、そのまま地名が残っていたのですぐに分りました。もっと詳しく調べて、そちらの方に来ることもあるかとおもいます。
平成12年7月24日 shibataさん
はじめまして。私は津久見市出身の者ですが、本ページにおいて、気になる点があるため投稿させていただきました。地域情報のところなのですが、あえて古い行政区画の名称を用いているのには、何か意味があるのでしょうか。 青江村、日代村、等の名称は、現在用いられていないため、やや、違和感を感じ、質問させていただきました。
平成12年7月18日
「白鳥音楽会ピアノの夕べ」に出演する、岡本Fの伯母です。いま、神戸に住んでいます。私は津久見高校、主人は上野丘高校の卒業生です。津久見のHPは時々拝見させて頂いていました。神戸に来て約20年ほどになりますが(年がばれてしまいます)何年たっても故郷はいいものです。離れてみて、良さが再確認されました。 HPをつくってくださって、ありがとうございます。私のように故郷を離れた者にとっては、心のよりどころです。これからも頑張ってくださいね。応援しています。☆
平成12年7月8日(かんざきさん)
はじめまして。私は保戸島の出身です。現在、関西にすんでいます。ねにげなく、「大分 津久見」で検索した所、このホームページがみつかりました。我が故郷が全国に紹介されていると思うと、大変うれしいです。友人にもアドレスを教えて見てもらうつもりです。これからも、どんどん更新してください。できれば、人物をたくさんお願いします。追伸 「お気に入り」の登録しました
平成12年6月30日
初めまして私は津久見警固屋の生まれで現在北九州市門司区に居を構えて居る渡辺○○と申します。今日初めて紙飛行機を拝見しまして大変内容も豊富で懐かしく又非常に参考になりました.今後の一層のご活躍をいのっています
平成12年6月20日
はじめまして 京都に住む大分県出身者です。大分市に 両親が住んでいます。このごろ母が ライフワークとして 将来的には朗読ボランティアになりたいといい始めました。どうしたらなれるのかしら どこで 何を習ったらいいのかと聞かれて大分にもそういうサークルがないのかとネットで検索しているときにこのHPをみつけました。大分市にも このような 朗読のサークルがないか教えていただけませんか?お忙しいところ恐縮ですが 母がなにかはじめたいといったのははじめてなので何か力になりたいと思っているのです。どうぞ よろしくお願いします。
その後:電話で調べ回答をメールしたが梨のつぶて。大分一歩の会から「あの話はどうなりましたか?」「応答なしです。」
平成12年6月12日(竹尾さん)
たまたま、紙飛行機のHPを見つけたのでなにかメールを送ります。私も津久見出身です。このHPは津久見のことがとてもよくわかります。津久見の人にはとてもたすかると思います。時刻表等もあることですし。
その後:お父さんからもメールの件言われました。「息子がメールをだしたらしい」
上野さん、ホームページをアメリカで見ています。懐かしいです。今こちらは春で家の回りに花を植えています。近くの八重桜は満開です。やっと日本での疲れがとれてきています。ふれあい電話頑張って下さい。2000年4月23日のむらさん
(ゼロネットに入っているという会費がゼロ)
平成12年4月16日(御手洗さん)
メールを送るついでに検索で津久見を探したら、このホームページにたどりつきました。たくさんの写真の中で懐かしい顔や、場所など時間のたつのも忘れ今は朝の4時です。僕は、今愛知県に住んでいて、嫁さんも津高の同級生なのでまた嫁さんと一緒にみさせてもらいます。これからも、頑張って懐かしい津久見のホームページをつくってください。
その後:お母さんに郵便局であったのでメールの話しました。
平成12年4月12日
はじめまして。宿毛佐伯フェリーのことが知りたくてホームページを発見しました。その時刻表を利用させて頂いたのですが、今年の1月に時間が変わっているようです。お手数ですが至急訂正、もしくは変わっている旨のコメントを加えていただけるとうれしいです。(出張で利用させていただいたのですがすっかり乗り遅れてしまいました。 こちらの確認不足ですが・・・。)ちなみに九四フェリーの方は今も変わっていないようです。よろしくお願いします。
平成12年4月14日
時刻表の訂正、ありがとうございました。今後も役立つホームページ作りをがんばってくださいね!会社の人が3人で津久見市に仕事で行ったんですよ。今日、帰ってくる予定です。津久見市にはこれから数回測量等の仕事で行くみたいです。20年前だと宿毛から高知までは今よりもっと時間がかかったでしょうね。14年には高速道路が窪川というところまで延びる予定ですから、1時間半くらいは短縮されるかもしれません。また遊びに来てくださいね!