初代「織田店のおばちゃん」・・・逝って仕舞った母への鎮魂歌  2014.2.20



母・・・・(かぞ)えで16才の時の写真
(まん)で14才・・・当時.は数えで年齢を)

生家の蜜柑畑にて
(母が小さい頃書いた詩を紹介します)


お庭に咲いたコスモスは


雨に濡れて冷たかろ


風に吹かれて寒かろう


夜更けにゃ


お月さん笑うじゃろ





※50年くらい前に1度聞いただけ
     なので少し違ってるかも?




母のアルバムから引っ張り出したのやけど裏に何も書いてない1936頃でしょうか

母はどの人でしょう・・・ヒント:この中で1番の別嬪(べっぴん)さんが母で〜す・・・答え:前列右


  父:(はじめ)

写真の裏に

「我が青春の思い出」・・・と筆書き

1943.4.29・・・・後列左より曽祖父(仲治爺さん)・清人爺ちゃん

前列左よりヨシヱ伯母さん・母・リウ婆ちゃん・秀清叔父さん


1954.8.20・・・・温厚で優しかった父と突然の別離

以後女手(おんなで)一つで幼い子供を、歯を食いしばって・・・

1962.8左は兄ワンダーフォーゲル部合宿風景:右は兄の父兄の会にて( 何故か前に座らされ・・・とても恥ずかしかったそうです


編み物が大好きで、左写真は機械編みのセーター:右写真の赤のセーターと緑のカーディガンは全て手編み

特に手編みのセーター等は何処に行っても「素敵やわー良く見せて」と見知らぬおばちゃん連中からも大絶賛

1970.1.13相思相愛にて兄結婚・・・義姉はチャキチャキの江戸っ子・下町育ち

1976.8・・・孫が二人に

中央は従妹半の・・・・・


1978.11.14 晴れてDonちゃんパンパカパ〜ン

1979.9.23第2中学校運動会で織田店大忙し

1980.8.26孫が2+2人で4

1981.10.25蓮照寺お稚児さん

お婆ちゃん着物をピシッと決めて

1984.1.31記録的な積雪(1.19に続いて)が

この後、雪だるま・雪合戦とばあちゃん大忙し


大分合同新聞「読者文芸」短歌の欄の常連に・詩吟・踊り・大正琴・カラオケ・お習字・・・などなど、で大忙し


1986.4.27好きな花いじりの合間に

1986.8.19久し振りの兄と


新築改装前の織田店と最後の記念撮影

1990.6.10・・・3人目の内孫と記念撮影・・所が2年前は新品やった淡竹(はちく)で作ったベンチが(こわ)れ大笑い

誰や、この椅子作ったのは〜・・・オラ知らネ(デヘヘ)セルフタイマーのカメラが捕えた決定的瞬間でした


海で石焼き芋・尺間山登山など、その他あっちこっちへ連れ出して

何しろ、店を始めてから

この頃まで母は、ズ〜ト365日店を休む事は殆ど無かったのです

この頃は、店は2代目おかみに任せ、北海道や沖縄などへ旅行を・・・お土産も一杯買って来て子供達も大喜び


高校生になったヒデ(孫)と兄が帰ってくると

そうなりゃ次の日も、その次の日も、あっちこっちの親戚で大歓迎の大宴会の中で

ヒデは、聞き慣れない大分弁攻勢に此処は日本やろか状態 !(?)今はスペインで

暮らしてるけど、スペイン語やドイツ語より大分弁の方がそ〜と〜難解やったかも


1962年より続いてる我が家の恒例行事・・・みんな、お餅が好きなんだな〜


                           (※臼は亡き父が使っていた物)

2014.2.11  15:57・・・最愛の母は「もう眠たいから先に寝るぞ」といった態で逝って仕舞いました


2月13日母は、荼毘(だび)に伏され

百年に1度あるかの雪の日に

「ほとけ」(上写真)になりました


生年:1919(大正7年)10月12日

没年:2014(平成26年)2月11日

早くに最愛の夫を失い(つら)い事や、悲しい事も一人で耐え抜き

小さかった私達には辛い顔一つ見せず、いつも優しい笑顔で




「まだまだ親孝行したかったのに」と言ったら 「もう十〜分」と

笑顔で返してくるのは十〜分判っているので

ありがとうございました(・・・・・・・・・・・)を心に残す事にします


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